所謂ひとつの、担降りのお話
10年選手のデビュー担(デビュー前から含めたら元担さんを11年担当していた)が、悩みに悩んで打算にまみれながらも、最終的に覚悟を決めて、ジャニーズJr.である松倉海斗くんに担降りしたお話です。
最初に言っておきます。
この担降りに美談はたぶんありません。(たぶん)
出会い頭に松倉くんに降りることを決めたわけじゃないんです。(後述しますが、松倉くんとの出会いは4年前になります。)
元担を降りることを前提に、降り先を探してました。
もうほんと、いろいろ、いろんなことがあって、元担本人にも、自分自身の気持ちにも、いろんな問題があって、もうこれ以上担当し続けるのはむり。
そんな気持ちになっていたので、誰か楽しくゆる~くオタクできる人はいないかな~って探してました。
そこで初めに候補に挙がったのが、King&Princeさんでした。
ずっとすごく仲良くしてくれている身内の担当がいるし、他の友人もみんな憎からず思ってるからぼっちになることもなさそうだし、曲がいいし、推されだし、現場も環境も整ってるし、何より10年デビュー担してきたわたしにとっては、デビューが決まってるということはすごく魅力的だった。
デビュー組を担当する利点は、安定した供給(キンプリのように推されてるならなおさら)、絶対にあるって断言しても過言じゃないツアー、音源化、PV、メディア露出。
挙げたらキリがないですが、降りるなら絶対デビュー組って思ってました。
だって楽だから。
いるかいないか直前まで・もしくは始まるまで分からない現場はほぼなくて、雑誌には絶対に出て、レギュラー番組があれば毎週その恩恵を得られるし、バーターで優先的にドラマも映画も出る。
体験談ですけど、めちゃくちゃ楽です。(茶の間しやすい的な意味で)
そんな中で、友達が元々担当してる子とかはなんとなく降りる気にならなかったり、最後まで悩んだのが、神宮寺勇太くんと、永瀬廉くんでした。
ダンスがね、もともとシャカリキが好きだから、綺麗なダンスをする廉くんより、一生懸命踊っててカメラアピールが天才的な神宮寺くんに目が行くのに時間はかかりませんでした。
あと、ガムシャラ辺りから神宮寺くんのことを散々ネタにしてきたので、親近感もあったのかなって思います。親和性が高かった。
そこまでいくと、神宮寺にしよっかな~!と、公言してました、身内に。デビューコン出のおたくしよっかな!現場入ってみないと分かんないよね!とか。みんなでツアー行こ!とか。
で、まぁ、モチベを上げようというか、それまでの神宮寺くんの活動とか全然見てこなかったので、好きになれればな~と思って、ひたすらYouTubeなどで動画をを漁る行動に出ました。
少クラから始まりバラエティなどまで。
でもね、そこに高確率でいるんですよね、松倉くんが。
神宮寺のバックにつく松松、セクゾのバックにいるまつまつじぐいわ、セクボとセク松。
そこからはもう早かったです、転げ落ちるの。
だってもともと、ジュニアだったら松倉くんがいちばん好きだったし。
というかデビュー担含めても、ジャニーズの中で元担の次に好きだったので、繰り上がりだったら単純に松倉くんなんですよね、結果的にもそうなりました‥
ジュニアに興味を持った5年ほど前、友達ほとんど全員に「この子!松倉くん!絶対好きだよ!!!」と言わしめた松倉くん。
シャカリキダンスが好き、ヤンチャなクソガキみたいな子が好き、お顔が完全にわたしの好み、など、勧められた理由はたくさんあったんですが、その頃は「いや赤ちゃんすぎるじゃん!?ちょっと若すぎるかな‥たしかにダンスは好きだけど‥」などと言って受け入れませんでした。
その一年後、忘れもしないガムシャラ激辛料理回。松倉くんガムシャラ初登場の回。茶髪になって爆イケ化していた松倉くんを見て、
「えっ誰この子!!!?可愛い!!!顔が好き!!!!」
「えっやばいダンスもめちゃくちゃ好きなんだけど!!??」
と騒いでいたわたしに、友人一同から「だから前から言ってた子だよwwwwwww」と突っ込まれました。友人の目ってすごいなぁ‥。
そっからはもうどんどんハマって。過去の少クラを見直すことはもちろん、ジュニランとかも見だしたり。
ハマりたての頃、ガムシャラとかクリエとか、現場に足を運ぶくらいには好きだったんです。
でもジュニア担って大変なのが分かってるから、降りる勇気がなかった。
ずっと好きだってことから目をそらしてきた。だからなるべく見ないようにしてきたって言っても過言じゃないです。(なぜこんなに、必要以上に怯えていたのかは後述。)
でも気が付けば松倉くんの動画を漁り、ちょっとだけ追っかけていた時期の動画とか、その頃に漁っていた動画とか。サジェストも松倉くんだらけ。
いや~~やっぱりわたし松倉くんが好きだわ!!!
神宮寺くんの動画を漁り始めてから、こんな発言をするまで1日かかりませんでした。(笑)
どれだけ他の人がメインで踊っていても、その横や後ろにいる松倉くんを見てしまうし、目が行くし、パフォーマンスを見ていて心が踊るのは松倉くんだった。
同僚のジャニオタとか、古くからの友人の反応も、結局か!まあでも松倉くんのほうがぽいよね!って感じでした。
でも、松倉くんに担降りする!って、覚悟ができたのは、たぶんTravis Japanに加入してくれて・させてもらえて、そのトラジャがそれなりにジュニア内のユニットとして機能してたからだと思います。この辺が打算。
松倉くんがSHOCKに初めての出演が決まったとき。
当時、わたしは身体を壊して、仕事も辞めて、東京から途轍もなく不便で田舎な地元に帰った年でした。
「え?なんで東京で公演ないの?」
「博多座?梅芸?電車と新幹線乗り継いでも10時間以上かかるし、(当時は貯金も底をつき)飛行機なんて使えない。」
「そもそも本命の担当は別にいるのに、博多に飛ぶ?」
「いつも楽しそうでシャカリキに踊ってる松倉くんが好きなのに、しばらくはSHOCKで舞台なの?」(ド失礼すみません)
「松倉くんも松倉担さんもこんなに喜んでるのに、素直に喜べない。」
「そもそも本命の担当は別でいるし、時間もお金もそんなに割けない。」
「こんなふうに現場に行けないわたしに、素直に頑張れって喜べないわたしに、松倉くんが好きなんて言う資格ない。」
今ではSHOCKカンパニーありがとう光一くんありがとうの気持ちしかないんですけど、もともとオタクをガッツでするために東京に出て、多ステも積むのも当たり前(若かった‥)、一現場1ステすら入れないなんてオタクとして死じゃん!?みたいな考えだった当時のわたしは(本当に思考がキッズ)勝手に追い込まれて、勝手に落ち込んで、松倉くんが好きって気持ちに蓋をしたのでした。
そんな経験もあったので、どうなるか先の全く読めないジュニアに降りるのは、すごくすごく怖かった。
デビュー担としては、次にいつ会えるか分からないこと、いるかいないか分からない現場があること、メディアの露出がないことがネックだと思ってました。
特に松松、昔の君たちのことだよ‥。
少クラには探せばいるけど、えっなんでそのラインにいるの‥?みたいなこと多々。あと、同じラインにいたJr.の皆さん辞めすぎ問題。マジで勘弁してくれ、と思ってた。
今は、トラジャに加入した直後のインタビューの発言(「松松で活動していくことは決めていたけど、そのために実際にどうすれば良いか分からなかった」「ユニットに入れさせてもらえたらと相談していた」)等で、本人たちのほうがずっとずっと自分たちの立ち位置の不安定さを憂いていたことを理解して、本当に申し訳なくなったりしました。
でも、トラジャに加入してくれたことで、単独公演もあり、先輩主演の舞台にもクレジットが載る。
これめちゃくちゃありがたいし、安心感がすごい。
げんまるから引用させてください。
「Travis Japanになっていなければなかったこと」
「Travis Japanじゃないとあのステージには立てなかったと思います!」
いやマジでそれな~!!?!?
加入の報せを聞いた頃は、えっトラジャ?に加入?これからはやっぱりショーメインなのか?って戸惑ったりしました。毛色違ったりしない?とか。
全然そんなことなかった‥。
ジャニーズJr.の未来を勝手に諦めてたのはわたしの方だった。
デビューはキンプリでしょ、推されもキンプリだし。その次ははいびかな?KAT-TUNとかKis-My-Ft2みたいに歴が長くてデビューできそうなのはSixTonesかな~、とか。
デビュー担ということにあぐらをかいて、好き勝手言ってた。勝手に決めつけてた。マジで最悪ですね。
もう本当にこれ言うと嫌な思いする人いるかなって思うけど、わたしのブログだから言わせてほしい先に謝るごめんなさい、トラジャがこんなに推されると思ってなかったんだぁ‥
横アリも単独させてもらえてしかも埋められて、サマパラだってスノと同じ12公演やって、外部舞台にだって出られて、ちゃかさんに至っては同じクールのドラマにレギュラー準レギュラーで出て、スカッとジャパンにだって個人で出られて‥
あとYouTubeのジュニアチャンネルはありがたいの極みだし、ジュニアにYouTubeさせようって発案した人間は天才かよ?と思ってます。ジュニアなのに、毎週毎週、最新の自担が見られる。生放送のレギュラー持ってるくらいありがたいじゃないですか‥しかも自分たちで企画考えてるってもう尊いの極みじゃん‥ファンがどんなことを喜ぶかって、どんな企画がYouTubeの動画としてウケるかっていう思考に触れられるの、最高オブ最高‥
こんなに潤沢な環境でジャニーズJr.のオタクができて幸せ極まりないです!!!
話はズレましたが、トラジャ加入のおかげで、こうしてデビュー担にこだわっていたわたしですら、安心して降りてこられたわけで。
好きって気持ちだけじゃ行動に移すことができなかった頭でっかちなわたしは、本当に救われました。
トラジャオリメン(と言っていいのかな)のみんな、松松を選んでくれてありがとう。
トラジャとして活動の基盤をしっかり作ってくれたおかげで、新メンバーを迎えるか5人でやっていくかという局面で松松を選んでくれたおかげで、松松もそれを喜んで受け入れて努力してなんとか加入してくれたおかげで、わたしもこうして恩恵をあずかれるわけで。
(かといって、松松にずっと一歩引いていてほしくはないので、その辺りはトテモムズカシイ‥)
しかも、トラジャになっても、それまでの松松2人の歴史をも大切にしてくれて。かといって隔離されるわけでもなく。こんなにありがたい形ないです。
長々と書いてしまいましたが、不安に駆られ続けることなくオタクができる環境に、いま担当としている松倉くんが、トラジャというユニットがしてくれた。
そのおかげで、それでもこれから平坦な道のりだけではないであろうジャニーズJr.に降りてこられた、という話でした!!!
(元担当ユニはHey!Say!JUMPなんですが、Travis Japanというユニットとは色が違いすぎて、マジで異文化交流って感じなので、その辺りの話もそのうち記事に書きたいなと思っています。。)
直近の現場が終わっていないのに次の現場のお知らせが来たり、現場数が多すぎて目が回ったりすることにはまだまだ慣れないですが、これからそんな環境にも慣れられるくらいずっと好きでいられたら良いなぁと思うし、きっとずっと好きでいさせてくれるって信じてます。
ブログのタイトルの「病めるときも健やかなるときも」は、結婚式の誓いの言葉でお馴染みですが、自担が、自ユニが、調子の良くないときだって、何かにぶつかったときだって、ずっと好きでい続ける!という決心と覚悟を持って掲げました。
すごく悩みながら、打算もあって担降りしたお話ですが、いまでは胸を張って、これから松倉くんが歩むすべての未来を応援する覚悟があるし、松倉くんが世界でいちばんの自担だって言えます!
松倉くん!!!大好きだよ~!!!!!!
おしまい(散らかしすぎました‥)